歴史

2008年1月21日 (月)

センター試験

この土日にセンター試験がありました。共通一次からいつの間にか名前が変わってたという感じがするんですが今年は歴史の問題を真剣に(ただチューハイの本絞り飲みながらですが)解いてみました。

結果自己採点で59点

まあ1問書き忘れたりしたんですがほぼ6割ですね。

歴史は詳しいつもりなんですが6割・・・

受験勉強もせずにぱっと解いて6割をよしとすべきか努力不足とすべきか微妙ですね。ただ去年よりまともな問題が増えた気がします。確かにくだらない設問も多いんですがなるほどこれは知るべきというような問題が今までより増えてます。

しかし仕事柄問題を解くとしたら英語か物理であるべきなのに日本史を必死に解いてるって・・・

趣味人だなぁ>私

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2007年11月 9日 (金)

ちょっとしたことが気になる

引き続き夕刊フジの話で恐縮ですが、その中に三国志が漫画で載っていました。

最近色々な雑誌に三国志が漫画で載っています。中国の歴史が好きな私にとってありがたい話ですがどうしても気になるところがあります。

1ページの漫画見ただけで違和感をすごく感じてしまうところが3箇所もあります。

三顧の礼という日本でもおなじみのシーンでした。三顧の礼・天下三分の計とこの1シーンだけで二つも未だに通じる言い回しが出てくる名場面です。ご存じない方のために簡単に言うと(私の理想の生活である)晴耕雨読している賢者を求めて武将がやってきたと思えばよいでしょう。

その1、諸葛亮孔明が劉備玄徳に劉備殿と呼びかけてます・・・

普通本名呼ぶのは親か君主だけだろうに。この場合字(あざな)つけて劉玄徳殿か役職つけて劉予州(本当は予にニンベンがつくほうが良いけど)殿と書くのが普通でしょう。

その2、諸葛亮孔明にひげがはえてません。

当時ひげがはえてないということは女性か宦官だけでどれだけ薄くても成人男性はひげはやしています。ひげが薄いだけで宦官と間違われて殺された例もあるくらいです。

その3、直接この二人が話ししている。

劉備玄徳は中国でも北方のひとで諸葛亮孔明は南方の人です。何十年も主従関係を築いた後ならともかく初対面で相手の発音が理解できるとは思えません。筆談以外にコミュニケーションは取れないんです。日本でも江戸時代の町人は普通に話しても他所の人には通じないので浄瑠璃の言い回しを使うことによって意思の疎通を図ったと聞いています。

3は絵にする以上しゃーないにしても1と2はないよなぁ。違和感感じるよなあ。でもこんなことにたまらなく違和感感じる自分にも違和感感じるなあ。(^^)

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2007年9月 8日 (土)

陳瞬臣の世界展に行ってきました

今日は大丸で開催されている陳舜臣の世界展に行ってきました。神戸で華僑の世界大会が開催されるのでその記念事業として開催されたとのことです。家族で行ったんですが娘以外に興味持てる人間は家族にいないので二人で行きました。

陳舜臣さんは神戸生まれで日本国籍ですがご両親は台湾の方です。その生い立ちゆえに今までに無い視野で多くの作品を書かれています。私もその作風が好きで何冊も持っています。

たとえば、アヘン戦争から太平天国の乱、日清戦争と複雑な世相を架空の一族を主人公にし脇を史実で固め小説としていく。このような手法は氏以外の誰も成しえないでしょうしそうされたことによって物語としての質が上がったように思います。

また神戸を深く愛されているのも感じ取れ行ってよかったなあと思いました。娘もそれなりに感じるものはあったようです。

無論、小説家の展示会なんで派手な演出や映像がある訳ではないので万人向きではないですが興味ある方には一見の価値アリとおもいますよ。

実は妹の行っていた大学で教鞭をとられていたこともあって実際妹も授業を受けたことがあるそうですが後半ずいぶん体調を崩されていたようです。しかし今では元気になられて87歳の今でも執筆活動されているようで何よりです。

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2007年3月 7日 (水)

古代史が熱いっ!

今、古代史が熱い。熱いんです。と言っても私の中だけでの話ですが。(^^)

元々日本史は旧石器時代専門(何が専門だか(^^))だったんですが古代も調べると凄く面白いんです。というかこれほど真実が解かってないとは思わなかったんです。

いくらなんでも邪馬台国が何処にあったかいまだはっきりしていないことくらいは知っていますが雄略天皇の後、継体天皇(なんで漢字変換されないんだよ)まで誰が何したかもはっきりしてないんですよね。実家の近所にある安閑天皇も本当に天皇位に就いたかどうかも解かって無いですし地元ではあの安閑天皇の古墳は実は皇后の古墳で横のちっちゃい方墳が安閑天皇と言われるしまつです。

また蘇我入鹿は天皇位を狙って傀儡化させ改革に反対した保守派ですこぶる悪いやつのように言われていましたがどうも全部逆で、豪族の権力を徐々に奪い天皇に権力を集中させ律令制度をひこうとした先見性のある改革派だったようです。(これは最近のNHKの番組でも同じような骨子で説明していたので信憑性は高そうです。)

それを守旧派の中大兄皇子にクーデター(乙巳の変)で倒されて全部逆に言われたそうです。そう言えば蘇我入鹿は聖徳太子の息子である山背大兄王を暗殺したと言われていますが山背大兄王自身その存在を疑われています。

また蘇我氏と物部氏は濃い血縁関係で実は仲がよく守屋は宗家でもなく物部の支持を得てないので負けたとかいろんな説がでています。

私が子供の頃からずっとお参りに行っている神社の氏神は物部氏で物部氏には親近感があったのですが蘇我氏と繋がっているとは思いませんでした。

また私が最も興味のある天武天皇は何年に産まれられたかが記録から丁寧に消されてあり本当の年令が解かりません。なんと聖徳太子が崩御して1年後に産まれたとする説もあり太子の子供ではとする説もあるようです。

これらのことを全て事実とする根拠は無いですが逆に全部否定する根拠も無いんです。

現在継体天皇陵といわれている古墳の発掘が進んでいますがそこから木管とかでて何か明らかになってくれると嬉しいです。

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