それは阪神とともに生きているといって言いすぎでない私にとって2003年以上に熱かった1992年のことです。
当時のルールは延長が15回までと規定されており我が阪神タイガースもその年甲子園で2回も延長15回まで戦いました。その2試合とも私は登板してましたが今日の話は最初の延長15回の試合のお話です。
なんで登板というかというと当時野球を観にいくというより応援に行くといったほうが正しかったからです。あったりまえですが実際球投げている訳ありません。 全力の応援は相当疲れるため9回も応援することができず大体5回ころから甲子園に登板にいってました。
でもその日に限って2回から登板したのですがまさか延長15回まで試合するとは思わなかったんでまあしんどいけどがんばろーくらいにしか思ってなかったんですが・・・・・・・
声は枯れるし持ってきたメガホンはとうの昔に叩き割ってしまい他のファンが興奮して放り投げたメガホン拾ってそれも叩き割ってしまいます。
おまけに途中から雨振ってきたのでその辺から拾ったダンボール着込んでまるで子泣きじじいのような姿で応援していました。私は拾ったダンボールを他の人に渡すなど地味に活躍していました。
で、今でも私の最も好きなピッチャーである田村の活躍などで試合は膠着してしまい15回の裏まで進んでしまいます。
もう負けはありません。しかしライトスタンドに残っている子泣きじじいの軍団(^^)はだれもそんなことを考えていません。
で、最後のチャンスによりによって代打の切り札の真弓がでてきます。
もはやライトスタンドは半狂乱になって真弓のヒッティングマーチで踊っています。まるでスタンドが揺れているようです。
で、
打つんです。サヨナラヒット。
もはやそのとき真弓は人ではなく神です。
スタンドは全狂乱です。
どこからか私に『おめでとう』と言ってくれ握手を求めてくるので私も『ありがとう』と言って握手します。(別に私が打ったわけではないちゅーねん)(^^)
で当時夙川に住んでいたのになぜか阪神三宮までいってホームの階段の上から『勝った勝ったまた勝った。よーわい**また負けた。ばんざーいばんざーい』といって万歳すると下にいる人も私に合わせて万歳します。
そのとき私は大衆を扇動する快感にひたっていました。世の中の独裁者は権力が欲しい以前にこれを感じたいのかも知れませんね。
ちなみに次の日は仕事になりませんでした。手が腫れ上がって電話取りにくいし、取っても声がほとんど出なかったです。
今年もそんな試合たのんます。
金本の3打席連続ホームランの記事見ながらふとそんなこと思い出しました。
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